斉藤唯|オカズになるAV女優の抜けるエロ画像!ベスト10
斉藤唯(さいとうゆい)とは?
1987年11月にVIPからリリースされた『溺れて』でデビューした元AV女優。
AVデビュー前は有名百貨店(伊勢丹)のデパートガールとして勤務していたようで、そのキュートな笑顔が社内でも噂になり、社内案内用パンフレットのモデルに起用されたこともあるとか…。
モデル起用については、証拠となるパンフを実際にこの目で確認したわけではないため、真偽のほどは不明(どうやらコアマガジンの『BUBKAダイヤモンド 消えたアイドルは今500連発(2010年7月)』が元ネタらしい)だが、彼女にはそれくらい光るものがあったという見方はできそうである。
事実、デビュー後の彼女は作品を立て続けにリリースし続け、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し、1980年代後半を代表する人気AV女優の地位を確立することになるが、では、彼女の魅力はどこにあるのか・・・!?
この点については一言で語り尽くせないが、やはり人懐っこそうなる愛くるしい笑顔に加え、健康的なほどよい肉付きのふっくらとした肉感的なボディが当時の男どもを魅了したとは間違いないだろう。
当時の正統派アイドル顔負けの甘いルックスを持っていた彼女が、作中で全裸になり、男相手にそられりにハードな絡み(あくまで当時としてはという意味で…)を見せてくれるだから、人気が出ないわけがないのである(まあ、バブル期の全盛期にあり、AV業界も盛り上がっていたことも少なからず影響しているが)。
また、彼女の魅力はそれだけにとどまらず、小振りながら感度の良さげなビンビンに勃起した乳首もそそり捨てがたいところ!
さらに彼女を語る上で欠かせないのが、アイドル並みの容姿からは想像もできないような卑猥なフェラテクである(元AV男優・マグナム北斗氏も彼女のフェラテクを絶賛)!
一部のファンからは〝ペコちゃん〟の愛称で親しまれており、チャームポイントのひとつであったぽってりとした厚めの唇と舌を駆使して男の肉棒を喉奥まで咥え込み、ねっとりねぶりまわすフェラシーンは、当時の男どもの股間を熱くしたことは想像に難くない。
また、彼女の活躍はアダルトビデオ作品にとどまらず、アイドルAV女優として、当時、人気のあった同世代のAV女優(冴島奈緒・葉山みどり)とアイドルグループ「RaCCo組(ラッコぐみ)」を結成(1988年)したり、2代目「セクシーメイツ(メンバー:東清美・長崎みどり・前原祐子)」として精力的に活動していた。
※補足:ヌード写真集(文庫本サイズの『マドンナメイト写真集(1988年3月)』をはじめ、『ラブ・ソングス 「唯と6つの物語」(1988年10月)』『Fruit Kiss 甘ずっぱい体験(1988年12月)』『オレンジ色の恋(1989年2月)』の4冊)も発売。
とはいえ、流行り廃りの激しい業界ということもあり、アイドルAV女優としての地位を着実に築いていった彼女であったが、1989年9月21日にアテナ映像からリリースされた『セクシーメイツ ファイナル!』を置き土産にAV女優を引退している(当時の人気女優は複数のレーベルを渡り歩きながら撮り溜めも含めて撮影に臨んていたと思われるが、1989年には間違いなく活動を終えていたと考えられるものの、正確な引退時期については不明…)。
身長 :160cm
スリーサイズ:B82(?カップ)・W58・H87
活動期間 :1987年~1989年
別名義 :斎藤唯、YUI
愛称 :ペコちゃん
斉藤唯:オカズになるエロ画像!ベスト10
斉藤唯:引退後の現在…
AV女優引退後の彼女は、どこで何をしているのか・・・!?
引退から既に30年近く経過しているため、公称プロフィールに間違いがなければ、現在はアラフィフ世代の立派な熟女になっているはずだが、引退後は〝YUI〟名義でしばらく歌手・タレント活動をしていたものの、AV女優時代のような人気は出なかったらしく、その後、ひっそりと芸能界から引退している。
※補足:文化放送主催の音楽祭「第22回 新宿音楽祭(1989年)」で、門馬良(演歌歌手)、多岐川舞子(演歌歌手)、彩木美来(歌手)などと共に銅賞を受賞。
芸能界から完全引退してしまった彼女のその後の消息について知れるような有力情報は見当たらず、今現在、どこで何をしているかまでは分からなかった(同姓同名のツイッターなどは存在するが、今さら〝斉藤唯〟名義を使っているとも思えない…)が、何にせよ、1980年代後半を代表するアイドルAV女優のひとりであったことは間違いないため、当時、彼女の作品に大変お世話になったというアラフィフ世代以降のおじさん方は、かつての作品を手に取り、あの頃の甘酸っぱい思い出に浸ってみるのも良いかも。